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シリーズ:お産というインフラがなくなる前に #1

「産める場所」が地方から消えていく 〜出産費用の保険適用は本当に救いになるのか〜

病院の領収書

「出産費用が保険適用になる」――先日、正常分娩を健康保険の対象にする法案が国会で審議され、衆議院を通過しました。これにより2028年6月頃をめどに、お産が健康保険の適用になる見込みで、妊婦さんやご家族にとっては、自己負担が大きく減るありがたい話……のはずです。

ところが、地方で分娩を扱う医師たちからは、お産の保険適用化について「このまま進むと、地方ではかえって産める場所がなくなってしまう」という声が上がっています。
負担を減らすはずの制度が、なぜ地方で子どもを産む環境を脅かすことになるのでしょうか。

今回は、その背景にある地方の周産期医療が直面している構造的な問題を、青森市に「まつくらレディースクリニック」を開業した松倉大輔医師と、函館市で長年にわたり、地域の分娩を担ってきた「えんどう桔梗マタニティクリニック」の遠藤拓医師のお話をもとに紹介します。(この記事は全3回連載の1回目です)

出生数以上のスピードで減る「産める場所」

日本の出生率は1970年代半ば以降、多少の増加はありつつも、基本的には低下の一途をたどっています。1人の女性が生涯に産む子どもの数の平均にあたる「合計特殊出生率」は、現時点(2026年5月11日)の最新値である2024年で1.15。人口を維持するのに必要な2.07の半分強、つまり1人の女性が生涯に1人と少ししか産まないペースが続いているということです。

日本の出生率の低下を表すグラフ(1965年〜現在)

そしてこの出生率の落ち込みが、地方では私たちが考えるよりずっと速い、というのが、地方で周産期医療に携わる医師たちの実感として語られています。

まつくらレディースクリニックのある青森市は人口約26万人。県全体の出生数は、2000年には12,961人でしたが、2024年には5,120人になり、25年間で約60%も減少しました。県庁所在地である青森市単体でも58%減少しています。

えんどう桔梗マタニティクリニックのある函館市も同様です。函館の合計特殊出生率は、2023年に初めて1を切って0.99、2024年はさらに下がって0.98となりました。 「1人を切っている」という点では東京も同じ(東京の合計特殊出生率は0.96で2年連続1.0未満)で、「地方だから」「都市部だから」というわけではありません。

降下するグラフと家族や子供の人形
Photo:PIXTA

ただ、函館と東京とではそもそもの人口、つまりいる人の数が圧倒的に違います。東京都の2024年の人口は約1,417万人。一方、函館の人口は約24万人。東京の59分の1です。函館市の出生数は、2020年代に入ってからは毎年およそ10%ずつ減り続けています。もともと少ない出生数の10%が毎年減るのは、地域を支えている医療機関にとって大きな打撃です。

さらに、こうして出生数が減っているのと同じくらい──むしろ、それ以上のスピードで、別の変化も進んでいます。

「消滅可能性自治体」と、お産の場の縮小

「消滅可能性自治体」とは、将来的に若年女性の人口が大きく減り、人口維持が難しくなると見込まれる自治体のことです。

2024年に人口戦略会議が公表した分析によれば、青森県内では40市町村のうち、35市町村がこの区分に該当しています。そして青森市は、全国の都道府県庁所在地の中で唯一、消滅可能性自治体に該当しています。

若年女性人口の流出は、単なる人口問題ではありません。「これから出産する世代が、その地域からいなくなる」…つまり、お産を扱う医療機関の経営が成り立ちにくくなることも意味します。経営が成り立たなければ施設が閉じ、ますます消滅の可能性が高まってしまいます。こうした連鎖が、すでに動き出しているのです。

青森市の場合、2016年に9つあった分娩取扱施設(総合病院3つ、有床診療所6つ)が、2026年には4施設(総合病院1つ、有床診療所3つ)まで減る見通しです。さらに2032年には、総合病院1つと有床診療所1つの「2拠点」だけになる可能性があります。10年で産める場所が半分になってしまう。これが地方で起きていることです。

青森市の分娩取り扱い施設の推移を示したマップ青森県の分娩施設の推移。2026年には赤で示された4箇所のみに減ってしまう。
約10年で半減し、さらに2拠点まで縮小する可能性も。(松倉医師ご提供資料より)

距離と天候が、お産のリスクを左右する

地方のお産事情には、単に数が減るというだけでなく、その土地ならではの自然条件や地形の問題も付随します。

たとえば、島が多い長崎県のような地域では、離島で陣痛が始まると本土の病院まで船やヘリで搬送が必要になることがあります。北海道のように土地が広大な地域では、最寄りの分娩施設まで車で1~2時間という場所も珍しくありません。冬場は、そこに道路の凍結や降雪が加わり、「遠い」ということ自体が命に関わるリスクになる場合もあります

雪深いことで知られる青森市でも、同じような問題を抱えています。
2025年から2026年にかけての冬、青森市は記録に残る豪雪となりました。2月1日時点で積雪は183cmとなり、観測史上4位、平年の2倍以上の雪が積もりました。豪雪地帯として全国に知られるようになった同市の酸ケ湯では累積積雪量が1,228cmに達し、災害救助法が適用される事態になりました。

「青森市では、記録的豪雪のため道路の除雪が間に合わず凹凸がひどくなり、車が雪にはまって動けなくなる『スタック』が市内各地で頻発しました。自家用車だけでなく配送トラックも稼働できず、市内の日常生活は混乱を極めました」(松倉医師)

破水や陣痛は、待ってくれません。除雪が追いつかない真夜中に、最寄りの分娩施設まで1時間、2時間かけて移動している間に、刻一刻と妊婦さんや赤ちゃんの容体が変わっていくことも考えられます。地方の妊婦さんにとって、お産を扱う場所が減るということは、単に不便になるだけでなく、命に直結する話でもあるのです。

雪道でスタックした車を押す男性

医療機関の努力だけでは支えきれない

北海道の函館市でも、同じような状況が生じています。函館市で地域の分娩を担ってきた「えんどう桔梗マタニティクリニック」の副院長・遠藤拓医師は、長年にわたり年間430~580件の分娩を扱ってきました。地域全体の出生数が激減するなか、2024年は競合の閉院もあり、一時的に437件をどうにか維持できましたが、2025年以降は価格競争の影響で基幹病院へと患者が流出。結果、2026年は大幅に減少する予測となっています。

「妊娠がわかった人は、そこから9カ月後の出産に向けて分娩予約をします。つまり、我々分娩を扱うクリニックでは、9カ月先の未来が見えてしまうのです。その未来予測が、2026年はこれまでになく厳しい印象です」(遠藤医師)

遠藤医師は、スタッフの残業時間の削減をはじめとした固定費の圧縮や、競合の閉院による流入に向けた付加価値の向上(主に無痛分娩の対応)などの経営努力を行ってきました。しかしながら、努力を上回る分娩数の減少により、もはや努力だけでは改善が困難なレベルに陥りつつあります。

このままでは、地方ではお産ができる場所そのものが消えてしまいかねません。「自分の住んでいる地域でお産ができる」という、当たり前に私たちが享受できていた前提が、すでに崩れ始めています。

チェックリストが挟まれたバインダーと黒いハート102721891

保険適用で、お産というインフラは守れるのか

冒頭の話に戻ります。

出産費用が保険適用になるというニュース自体は、確かに朗報です。出産育児一時金(2026年5月17日時点では50万円)だけでは費用を賄いきれず、自己負担に悩むご家族が多い現状を考えれば、保険適用になることで出産にかかる家計負担は軽減され、助けになるはずです。

ただ、地方でお産に携わる医師たちは違う角度からの懸念を口にしています。

「全国一律の価格では、地方の固定費を賄えない」
「徐々に減っていく妊婦さんを地域で奪い合うことになり、地域の周産期医療の破綻につながる」
「安全確保に必要なコストと診療報酬にギャップがありすぎる」

そんな声が聞こえてきます。

「地方の分娩施設は、日本の未来を支えるインフラである」と、遠藤医師は話します。
出産の保険適用は本来、妊婦さんが安心して産める環境を守るためのものだったはずです。しかし、地方の固定費や実情を無視した全国一律の制度設計が進めば、かえって産める場所を失わせる結果を生んでしまうかもしれない状況に陥っています。

なぜ、このようなギャップが生じているのでしょうか。次回(第2回)では、もしも地方の有床診療所が消えてしまったら、妊婦さんとご家族、そして医療の現場に具体的に何が起きるのか、医師が描いた連鎖を見ていきます。

 

本記事は、2026年4月8日に日本記者クラブで開かれた日本産婦人科医会の記者懇談会をもとに執筆しています。

特別協力:
まつくらレディースクリニック
えんどう桔梗マタニティクリニック

シリーズはこちら
第1回 「産める場所」が地方から消えていく―出産費用の保険適用は本当に救いになるのか(この記事)
第2回 「もし、地方で産めなくなったら」―妊婦、家族、医療現場に起こること
第3回 地方のお産を守るためにできること

宋美玄 産婦人科医 crumii編集長

この記事の監修医師

丸の内の森レディースクリニック

院長

宋美玄先生

産婦人科専門医

丸の内の森レディースクリニック院長、ウィメンズヘルスリテラシー協会代表理事産婦人科専門医。臨床の現場に身を置きながら情報番組でコメンテーターをつとめるなど数々のメディアにも出演し、セックスや月経など女性のヘルスケアに関する情報発信を行う。著書に『女医が教える本当に気持ちのいいセックス』など多数。

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